産みの苦しみ&楽しみ|柏瀬光寿

 

平成最後の年に、ついに念願のバイラクッペでのアイキャンプが開催できた。長年親しんだダラムサラでのアイキャンプから離れ、かの地での新規開拓に至った理由としては、①誰かのために役に立ちたいという熱い想いを持つ日本人の若者(?)が活躍できる場を広げたい、②日本人に対する厚い信頼を寄せるチベット人やインド人の患者さんに、日本人の手による日本製の眼内レンズを用いた手術をし、見える喜びを提供したい、③さらにこの小さな民間団体の交流が、日本とインド、チベットとの心の架け橋となってほしい、という想いから構想し、昨年の視察を経て今回の開催に漕ぎ着けた。ダラムサラでの10数年の経験から、決してスムーズにはいかないのだろうとは思ってはいたが、その準備から現地での実施に至るまで、産みの苦しみを数多く感じた。まさに「0を1にする難しさ」の連続だった。

準備するに当たって、7月頃から動き出せば十分だろうと考えていた私は、梅雨明けよりカウンターパートナーであるTso Jhe 病院のSonam院長に連絡を取り始めた。手術用顕微鏡やAモードの修理、PAP取得に当たっての必要情報の提供などを依頼したが、メールでのやり取り故に歩みはゆっくりだった。それでも前には進んではいたが、既存の壊れた顕微鏡の修理代を誰が出すのかという問題に直面(去年の話しでは、台湾のスポンサーに依頼すれば大丈夫、ということだったが)した途端に、一切の連絡が取れなくなった。まさに “No response(無反応)“。時はすでに9月の終わりだった。英語が決して流暢ではないため電話をすることを躊躇っていたが、意を決してダイヤルしてみるが呼び出し音が虚しく鳴り続けているだけだった。籠谷先生や黒田理事長と相談し、今回はその資金をAOCAで負担しよう、となりその旨をメールで伝えたところ、すぐさま「それは嬉しい、助かった」という返信があった。その間、ダラムサラのDelek病院のDawa院長に相談したりして、この沈黙をどうにか打破できないか頭を悩ませていたが、あっさりとしたものだった。やはり目的も想いも大切だが、それらは「お金」という経済的基礎の上に乗っているのだと改めて考えさせられた。

今回のキャンプで初めて隊長となった私が取り入れたのが、役割の分担である。これまでは基本的に隊長が地図を描き、その道標にしたがって各メンバーが行動する、というスタイルであったが、今回は過去にアイキャンプに参加したことのある選りすぐりのメンバーだったので、皆の想いと能力を信じ、それぞれにチーフになってもらった。オペは眞鍋先生、外来は塚原先生、会計は須賀先生、オペ室や外来の外回りは塩入ナース、日本での眼内レンズの調達および現地での記録は籠谷先生、通訳およびコーディネートは小川チベット医、そして各メンバーが力を発揮できるように場を整えることを隊長である私の役割とした。ただ初めての地で、誰一人としてアイキャンプを経験した人がいない病院スタッフと、初めてのアイキャンプを行うという状況だったため、我々がどれだけ頑張ってもどうしようもない問題が発生することが想定されたため、これを打破するための地元のサポーターが必要であると考えた。当初はDelek病院で一緒に働き我々のことを良く知っているTenzin Lungrickを考えていたが、昨年の視察で「不可」という悲しい烙印を押さざるを得なかった。そこで次に思いついたのが、以前ダラムサラのDelek病院でナースとして勤務し数年前に定年退職、現在は隠居してムンゴット(去年、最初に視察した地)にいる私にとってのチベット人の母Namkhangだった。そこで6月頃に電話をし協力を依頼したが、身体の不自由なご主人のこともあり即諾は得られず、むしろ難しいという返事だった。ところが我が家で娘がジングル・ベルをピアノで奏でるようになった頃、どうにか都合がついたから参加できる、との嬉しいメールを貰い、独りで小躍りして喜んだ。

12月23日に日本を発ち、ムンバイ、バンガロールを経由して、24日の午後3時頃にバイラクッペのTso Jhe病院に到着。するとそこには既にNamkhangの姿があり、現地スタッフに必要な薬剤等の事前準備について指示してくれていた。またNo responseだったSonam院長や眼科技術者のPema、さらに病院スタッフ全員が、事前の対応からは想像できないほど用意周到な準備を済ませており、その姿から彼女らの意気込みをヒシヒシと感じた。またワクワクした楽しそうな生き生きとした表情に、このキャンプは必ず上手くいくと確信した。

25日にオープニング・セレモニーが行われ(私が院長にこの開催の話しをするが必要なしと一度は判断されたが、その後にNamkhangが再度、必要性を説き実施に至った)、現地の政府代表であるGelek Jungneyから、今まで耳にしたことがないほど光栄なるお言葉を頂き、通訳した小川さんをはじめ我々メンバーもいたく感動するとともに、このプロジェクトに寄せられている期待とそれに応える使命感がさらに高まった。

しかし、やはり様々な問題が次々に生じた。紙面の都合上、詳細は割愛する。

・手術で使うテガダームがなく、病院スタッフに急遽5時間の距離にあるマイソールまで買いに行ってもらった。

・手術用のガウンが足りず、滅菌して再利用。

・眼底検査用レンズ(20D)がなく、検眼用レンズで代用(でも、良く見えず)。

・Aモードが途中で動かなくなり途方に暮れたが、Dr. Sudhindra(マイソールの病院の眼科医で、彼の協力なくして今回のアイキャンプは成り立たなかった。立役者の一人である)が機転を利かせて業者からレンタルしてくれた。お蔭で、眼軸長を計測できずに当てずっぽうの度数の眼内レンズを入れるということにはならなかった。

・手術を予定したインド人の患者さんの親戚から病院スタッフに「手術して何かあったらタダではおかないぞ!」という脅迫電話が入った。結局その患者さんは来院されず、手術には至らなかったが。

・術中、顕微鏡のライトが消えてしまい皆がアタフタしている中、術者の須賀先生はLEDの懐中電灯下で手術を淡々と続行し、なんと最後まで完遂した。(網膜の感度が低下している51歳の私だったら、良く見えずに中断していただろう)

文章にすると簡単に書けるだが、その場では皆が困惑し、悩み、そして意見を出し合って一つずつ壁を乗り越えていった。まさにアイキャンプの醍醐味の数々だった。

無いところから一つずつ積み木を積み上げていくことは、とても大変である。でもそれ以上に楽しいものでもある。何でも揃った日本での日々の診療や生活の中では経験できないことだらけで、天から「どうだ? できるか? さあやってみろ!」と試されている気がした。でもその難題を一つずつ克服していけたのは、今回のプロジェクトに喜んで参加してくれた敬愛なる日本人チームメンバー、チベット人ナースNamkhang、インド人眼科医Dr. Sudhindra、Tso Jhe病院のSonam院長とPema眼科技術者、病院のスタッフが、目で観て、耳で聴き、心で感じて、知恵を絞り、そして身体を動かして協力してくれたお蔭であると心から感謝している。

去年の定例総会前の理事会で今回のバイラクッペでの新アイキャンプについて報告をした際、正直わたしの中には不安しかなかった。しかしその時に「黒住先生はいつも仰っていた。何もせんでもいい。無事に帰って来れればそれで良いんだ。」というお言葉を黒田理事長と松本副理事長から戴き、心がす~っと楽になったことが忘れられない。そして同時に、このキャンプは参加するメンバーだけのものでなく、AOCAの方々、そして支援してくださる皆様のものだと改めて考えることが出来た。

今回のアイキャンプを終え、バイラクッペでやる意義、そして現地のニーズは間違いなくあると感じた。第一弾は成功裏に終わったと言えよう。むらん課題はまだまだあり、さらに今後も次々と発生してくるだろう。私の考えとしては、まず3年かけて最初の丘を登ってみたい。するとその先の丘が見えてくるだろう。その時にこのプロジェクトを継続すべきか撤退すべきかが判断しようと思う。どうか支援者のみなさん、もうしばらくの間お見守りください。有り難うございました。合掌、Tashi Delek。